読まれるためには文章に魂を込めることが必要

Disability & Society

こんにちはすぎっしゅです( @sugisshu )。

わたしが論文を書くときに手こずってしまった理由のひとつとして、「耳馴染みのよい言葉」を使いすぎていたことがあります。そのおかげで、改めて読み返してみると力のない、説得力の薄い文章になっていました。

詳しく説明していきます。

わたしは2015年あたりから「Twitter」「はてなブログ」での発信を続けてきました。そこでは「生の」「誰もが食いつく」ような情報を出し続ける必要があります。なので深く情報を精査したり、表現を工夫するといったことは最低限しかしてきませんでした。

もちろんメリットもあります。素早く、生の情報を処理できるというのは、仕事をする上で重宝される重要スキルですし、お陰で定期的にブログを読んでくれるユーザーさんが増えてゆき、わずかばかりの収益を上がるようにもなっていきました。

ところが論文を書くという行為は、この積み重ねではいけないわけです。耳ざわりのよい言葉を並べることは、研究とはいえません。必ず情報を批判的に捉え(Critical Thinking)文章に起こしていく必要があります。

わたしはこれを「文章に魂を込める」と呼んでいます。

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