こんにちはすぎっしゅ( @sugisshu )です。
2016年3月に渡航したウズベキスタンの隣国、キルギスへの任国外旅行について、過去に書いた記事をまとめました。実はここキルギスはフェルガナ州と国境を接しており、徒歩で国境を越えることも可能だそうです。
フェルガナ~タシケント~アルマトイ~ビシュケク、という超絶遠回りをして入国しました。
(ビシュケク上空)
青年海外協力隊員として派遣されている2年間のうち、1年で20日間、最大で40日間の任国外旅行が可能です。わたしは昨年末に日本へ2週間の一時帰国をしているため、残り日数は4日間。この日数を使ってウズベキスタンの隣国キルギスへ行ってみた。
Contents
1日目:タシケント~キルギスへ
【キルギス旅行1日目】タシケントからアルマティでトランジットしてビシュケクへ移動。キルギスええなぁ。古き良き欧州圏の装いで人々も穏やか。バックパッカー宿は一泊12$でリーズナブス。 #旅行 pic.twitter.com/SEZ3fiQd06
— すぎっしゅ@G.W.ウズベキスタン→ロシアへ (@sugisshu) March 21, 2016
キルギス基本情報
人口:約540万人(2011年現在)
首都:ビシュケク
民族構成:キルギス人、ウズベク人、ロシア人、ウクライナ人など。
言語:キルギス語、ロシア語、ウズベク語も押せばいける。
通貨:Com(ソム)、1US$=約70Com(2016年3月現在)
入出国:日本国籍者はビザ不要。
電源プラグ:220V、50Hz、日本の電化製品のほとんどは変圧器がないと使用不可。プラグタイプC。
(参考、地球の歩き方中央アジア)
ウズベキスタンから出国、またもや税関申告書……。
(ビシュケクでの宿泊先ゲストハウス)
3月20日、タシケント空港から飛行機でいざキルギスへ!と大腕を振って税関申告へと向かう。しかし直前にあることに気がついてしまうのです。
「税関申告書がない……」
ウズベキスタンはこの辺の審査が厳しく、入国時に書いた税関申告書がなければ現金を持ち出せなくなっている。税関申告書がないわたしはドルを持ち出せない。フェルガナで働いていること4日後に戻ってくることを伝えても理解を得られず立ち往生。ついには「わたしはあなたを助けない」と担当者がどこかへ立ち去ってしまった。
うーん、どうしたものか……
悩んだ挙句、現地スタッフにTELで相談し、電話で交渉してもらい事なきを得られました。なんとか税関申告を通過。これから来ウズする予定の方は入国時に書いた税関申告書をなくさないことを肝に銘じてくださいね。
タシケントからアルマティへ
(アスタナエアーの機内食)
タシケントから直接ビシュケクへ向かうことができると一番良い。今回はフライトの関係上、カザフスタンのアルマティを経由してビシュケクへ向かうことに。だがしかしこの経路は非常に時間がかかり、イメージは北海道から東京を経由して新幹線で青森に向かうようなもの。むしろフェルガナからだともう目と鼻の先にキルギスがあるんだけど……。
アスタナ・エアーの機内食サンドイッチはなかなか美味い。アルマティ空港へ飛行機が着陸したとき、機内で拍手が挙がっていた。
アルマトイからビシュケクへ
(航空券)
アルマティからビシュケクへと向かう搭乗ゲートでの話。トランジットの待ち時間は1時間くらいかなぁ、とゲート近くの椅子で休んでいたところ「~様はいらっしゃいますか?」とキルギス語?ロシア語?でアナウンスが流れる。
ぼんやりしていたらもう機内への入場が始まっていたらしい。中央アジアの空港で日本人の名前がアナウンスされることはそうそうないだろう。うれし恥ずかし、急ぎ足で機内へと向かう。
首都ビシュケク到着
(ビシュケクのユルタ内部)
意気揚々と乗り込んだものの前途多難なわたしたち、ようやく辿りついたビシュケクでもまたいくつかの困難に見舞われました。
【キルギス旅行2日目】タバコの話。キルギスのタバコパッケージには弊害及び疾患について写真が描かれている。日本でこの系統のパッケージを見ない理由は『子供が目にすると悪影響』といったところだろう。うーんどっちがええんやろ。 #タバコ pic.twitter.com/TtxZJEb6Vc
— すぎっしゅ@G.W.ウズベキスタン→ロシアへ (@sugisshu) March 21, 2016
宿泊先のグリーンホステル……?
(間違えて入ったグリーンホステル)
空港からタクシーでゆられること30分弱。到着したのは今回の旅の宿泊先である”グリーンホステル”。近くまでタクシーで連れてきてもらうが、あれ?門の鍵がかかっている。電話して門をあけてもらい中へ入る。
事前予約しているはずなのに、外門から鍵をかけているとはどういった了見だ!と怒り心頭することもなく、受付のおねえさんに事情を話す。「あっ、予約を確認していませんでした、ごめんなさい今すぐ準備します!」といって寝具や暖房器具を用意してくれるおねえさん。おかしいなぁ、と予約フォームやメールを見返しているとある事実に気がついてしまった。予約したのは“インターホステル”だったのだ。ここはグリーンホステル……。
名前は似ているが実は別の宿泊先。理不尽なわたしたちの要求に対応してくれたおねえさんに謝罪をして、目的のインターホステルへ向かう。
宿泊先インターハウス・ビシュケク
(インターハウス・ビシュケクの受付)
ビシュケク市内中心部から近いインターハウス・ビシュケク。いわゆる最近流行りのゲストハウスで、1泊2色12US$、朝食付き。料金を支払ったらあとは基本的に自分たちで料理・洗濯・就寝環境を整えるスタイル。こういう感じの宿泊施設に泊まるのは初めてだったので、おかしなテンションになるわたし。
いろいろな国からたくさんの来訪があるようで、書籍コーナーにはロシア語はもちろん、日本語の本も陳列されていた。また館内WiFiあり・シャワールーム完備でトイレは綺麗でちろん水洗。この感じワクワクするぜ!
グルジア料理「purpur」
(purpurのテーブル席)
宿泊先のインターハウス・ビシュケクから歩いて5分強にあるグルジア料理”purpur”。ぶっちゃけグルジアってどこにあるかよく知らないし、グルジアって名前も知ったのここ半年くらいだし未知の世界だったんだけど、料理がうまい!
店内はウズではなかなかお目にかかれないお洒落な雰囲気を醸し出している。客層はロシア人・キルギス人がほとんどで2階建て、収容は50席くらいだった。ピザとサラダが絶品!
砂漠地帯の宿命
(ゲストハウスのベッド)
キルギスはウズベキスタンと同じく中央アジアのいわゆる砂漠地帯に位置する。大陸性の気候で湿度が低く、とても乾燥している。ウズベキスタンより乾燥しているように感じた。宿泊先でシャワーを浴びて寝床に着くも、乾燥で咳がとまらない。
キルギスへ旅行する際にはマスク必携!
2日目:ビシュケク市内観光
(マナス像)
宿泊先から歩いて5分程度のマナス像広場。某書籍でチェックしたところ「このマナス像は、キルギス人が1000年も昔から語り継いだ英雄叙事詩のヒーローで、キルギスのシンボル」となんともわかるようなわからないような解説。ウズベキスタンでいうところのアミール・ティムールさんのような存在らしい。
時期が中央アジアのナウルーズと重なっていたため、広場にはユルタが立ち並び、淑やかに春を祝福していた。キルギスへ旅行するときには必携です!
(ビシュケク市内の道路)
さてさてやっとの思いでたどりついたビシュケク市内。ここから市内観光と食べ歩きもといデブ飯ツアーが開催される。昨晩食べたピザやサラダの余韻を残しつつ、翌朝新たな食をもとめて市内へと繰り出しました。
フェルト雑貨「TUMAR」
(お洒落な店内)
はじめに訪れたのはフェルト雑貨を専門にあつかう”TUMAR”というお店。概観から既にお洒落な雰囲気が出まくっている。店内には所狭しとフェルト雑貨が溢れ、ユルタを模った人形や洋服・普段用の履物はもちろん、最新のiPad専用ケースなどが売られている。わたしが購入したのはフェルガナで活動する隊員へのお土産数点(160ソム~)。ドル払いも可能。
(フェルトの人形)
ビシュケク・パーク
(ビシュケク・パルクの店内にあるWAIKII)
市内ほぼ中心部にある”BISHKEK PARK”はビシュケク市内最大級のショッピングセンター。店内にはお洒落なファッションブティックやカフェ、スケートリンク・噴水などがあり、人々の憩いの場となっているようだ。価格は日本より若干安めで、どちらかというとキルギスの富裕層むけな印象。デザインや品質は日本のものとほとんど変わらない印象。なおほとんどの店舗でVISAカードが使える。
(わたしはJCBカードしか持っていない模様)
久しぶりのショッピングにテンションがあがる同伴隊員1名を残し、各店舗を廻る。
中華料理屋「ペキンスカヤ・ウトカ」
(美味しい中華のお店)
小腹が空いてきたため少し遅めの昼食をとることにしました。「〇〇さん、市内でおいしいご飯屋さんはありますか?」と現地スタッフを情報版のようにあつかうわたしたち。いつも優しく対応してくれる現地スタッフさんには感謝しかない。
案内をうけたのは知る人ぞ知る?現地中華料理屋さん。麻婆豆腐・チャーハンの味クオリティに感動。さすが現地スタッフさんはわたしたちの好みを熟知していらっしゃる。いつもキラキラに装飾された急須をみているわたしは、銀色一色なことに新鮮さを感じました。
(麻婆豆腐が美味しい)
ゲストハウス同室のお兄さん
わたしたちが宿泊しているインターハウス・ビシュケクはいわゆるゲストハウス風の施設。華美な装飾はされておらず、宿泊部屋は4人1室で、二段ベッドが2つある。ウズベキスタンから3人で旅行しているわたしたちのほかに、同室で寝泊りするアメリカ人の男性が1人。こういう旅では宿泊先での出会い・交流も楽しいものだ。
結構控えめなのかと思いきや話し出すと止まらない彼は、キルギスの隣国カザフスタンの大学でアメリカ文化を教えているとのこと。「カザフスタンへ来たら国を案内させてくれ」と笑顔で話す。
聡明で気の利く彼のベッドが異常に乱れていたことは、この際伏せておこうと思う。
3日目:感動の日本食
キルギス旅行も終盤にはいりました。相変わらず美味しいものを探すことに余念のないわたしたち。最終回の有名な中央アジアの日本料亭やアラ・アルチャ自然公園などを紹介します。
日本料亭「ふる里」
(日本料亭:ふる里)
ここは今回の旅における最大の目的といっても過言ではない。日本人の大将が握る寿司を食べられる日本料亭が中央アジアにあるのだ。名を「ふる里」といいその味は、中央アジアで乾ききったわたしたちの胃袋を幸福で満たしてくれた。
「どこからいらしたんですか?」と聞く大将に「ウズベキスタンからです」と答える。
やや苦笑いをしながら「いろいろ大変でしょう、サービスしますね」と言う大将の言葉に、文字通りの”ふる里”を感じる。
(感動の日本食)
日本から食料を個人輸入しているらしく、みりんなど調味料の計り売りも可能。中央アジアを訪れたときには是非立ち寄ってほしい。
▼日本料理 ふるさと|■ 日刊・キルギス食生活 中央アジアへようこそ! ■
アラ・アルチャ自然公園
(アラ・アルチャ自然公園に到着です)
ビシュケク市内より車で約30分に位置する「アラ・アルチャ自然公園」は、入り口で既に海抜1300m。公園の入り口から13kmほどにあるアルピニストセンターから続きを徒歩で登ってゆく。宿泊先インターハウス・ビシュケクから事前予約で送迎も付けてくれる。
高山病?なんやそれ?と高をくくるフェルガナ盆地在住のわたし。車に揺られるなか手足の痺れと、軽度の頭痛を感じはじめる。く、これが高山病か……初めての体験に動揺を隠せない。
高山病の症状一覧
・手足のむくみ、痺れ
・めまい
・頭痛
・耳鳴り
・倦怠感
・眠気やあくび etc.
急激な気圧の変化にともなう心血管系の機能異常や全身の血流低下に起因する低酸素血症の全身症状。
高山病の対策
以下わたしがした症状緩和策一覧
・足をパタパタさせることで下肢からの血管収縮を促す。(血流改善)
・外の空気をたくさん吸い、酸素を多目に確保する。(酸素摂取量の増加)
・多目に水分補給をする。(循環血流量を増やして脱水症状を防ぐ)
上記の対策でとりあえず危機を脱したわたしは、そのままアラ・アルチャ自然公園の上層部へと歩みをすすめる。
ウズベキスタンではなかなかお目にかかれない山の斜面に木が生えている光景。心が洗われるような気分に浸る。
4日目:ビシュケク空港~タシケント空港へと向かう
(ビシュケク空港ロビー)
ビシュケク空港からタシケント空港行きの便は朝7:00発。国際便は離陸時間の2時間前に到着していることが目安になる。ということは朝5:00におきなければならない……眠い目をこすりながら身辺整理をする。夜中2:00出発のフェルガナータシケント便の数倍良いかな。
辿りついたビシュケク空港。警備は固いものの、やけに搭乗がスムーズだなぁ。
離陸直後から、昨日陥った高山病の名残りというか、耳鳴りや頭痛がする……フライトは約1時間。なんとか乗り切り、中間報告を控えるタシケントへとむかう……
これにてキルギス旅行記は終了です。
今日のまとめ:キルギスいいとこ一度はおいで!
以上が「【キルギス】イシク・クル湖やアラ・アルチャ自然公園など中央アジアのきっての自然立国。キルギス旅行記です。」でした!
推敲・編集したものの、基本的な文章はそのままにしてあります。こうして定期的に文章力の成長を確認するのも面白いですね。
さて本題のキルギスは自然豊かな国でした。天然資源や物資が少ない分他国からの援助に頼っている、というと語弊があるかもしれませんが、上手に外交をしている印象です。ロシア語の発音も綺麗だったしね。是非是非また来たい国となりました!
最後までお読みいただきありがとうございました!
これであなたもキルギス旅行者。
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