【青年海外協力隊】日本イチ厳しい”国際人養成所”での「落第宣告」と、わたしがとった打開策。【長編】

協力隊のあれこれ

アッサローム・アライクン、YUJI( @sugisshu )です。

今日の記事はめちゃくちゃ長いです。

14,000字にもなってしまいました……。

というのもこの記事はわたしがめちゃくちゃ苦労した協力隊派遣前訓練の当時の日記を掘り起こして再編したからです。そりゃ、長くなるわなぁ、と。そしてその都度過去の自分にツッコミを入れています。だから書いていてめっちゃ面白かったです。

「長い記事なんて読んでられねぇ!」 

という方は目次より”訓練所で切羽詰まったときの対処法”から読み進めてください。

はじめに

今日の記事は完全に過去の振り返りとなります。

この記事をかきながら当時のことを思い出していたのですが、良くも悪くも、すごく感情の揺さぶられる時間でした。いま思い出してもても、当時の自分はまだまだ未熟だったな……と感じてしまいましたね。

どうしてわたしがそう感じたのか、当時の日記・メモの引用から炙り出してみましょう。

協力隊の派遣前訓練ってなに?

青年海外協力隊員として任国に派遣されるにあたり、全隊員が経験することがあります。それがこれから紹介する”派遣前訓練”です。

派遣前訓練は福島県二本松市長野県駒ヶ根市で行われます。

年間4回の派遣に対して訓練が実施され、毎回100名〜150名程度の候補生達が語学訓練を受けることになります。 なので2施設合計すると、年間で1,000人前後の協力隊員が派遣されているわけですね。

派遣前訓練の日数はおおむね70日間です。

この派遣前訓練では途上国で生活するためのノウハウや、活動の際に気をつけた方が良いことなどをまとめて学ぶことができるんです。ほんとここでの70日間を経験すると、人生観が変わりますよ。現に私は全く別人のようになって北海道へ凱旋しました。

そしてきわめつけは語学訓練、でしょうね。ここは”日本一の語学者養成施設”と形容されることもあり、どんな言語であれ生活レベル〜仕事レベルまで引き上げてくれます。でもその代わりもちろんめちゃくちゃ学習のレベルは高いですよ!

これからわたしが経験した70日間を、当時書き残していた日記とともに振り返っていきたいと思います!

訓練開始前の意気込み

北海道からの参加であるため前入りし、先ほど長野県駒ヶ根市に到着いたしました。

北海道帯広空港→東京羽田空港→山手線→新宿高速バス→長野県駒ヶ根市

総移動時間10時間超、ここまでくるとさすがに腰が痛む。途中、バスの降り場を間違え、知らない土地をキャリーバック片手に30分歩いたり、いきなり前途多難。

先ほどホテル到着いたしました。

明日から青年海外協力隊H26年度4次隊の派遣前訓練が開始されます。

楽しみながら乗り切っていきましょう。

かなり気合が入っています。

それもそのはずで、この訓練を終えたら任国に行くことができるのです。しかもこれから候補生132人との新しい出会いが待っています。

これにワクワクしないはずがない!

気合十分で駒ヶ根に向かいました。

訓練1〜2週目

 昨年7月に青年海外協力隊の試験に合格し、晴れて1月6日から”候補生”として登録され、長野県駒ヶ根市で約70日間の訓練に参加した。

・始まって早々、涙目です。どこまでついていけるのか、どう自分が変化していくのか楽しみです。

・やはり、語学がネックになります。 無事乗り切れるでしょうか。

・少し落ち着いたので、少し内容のあるものを書きますね。1月6日から始まったJICA派遣前訓練in駒ヶ根。周囲は有名国立大学卒、元一流企業勤務、ジャーナリストなどなど、これまで関わることの無かった人種の人たちです。自分はここにいて良いのだろうか、という気持ちになり、はっきり言ってプレッシャーとストレスで胃が痛いです。無事、約70日間の訓練を修了できるのでしょうか。全く自信が無いし、ここまでの詰め込みスケジュールは人生で初めてです。もう既に自分のキャパは超えております。後は、どこまで食らいつけるか、根性の見せ所です。あしたは語学テスト、がんばりましょう。

・始まって早々、訓練終了の可能性が浮上しました。 なんとか足掻いてみます。ここが正念場。

・ひとまず、訓練開始から一週間が経過致しました。これまでの流れを振り返ってみたいと思います。

1月5日(月)北海道帯広空港から羽田空港に向かい、新宿駅西口から高速バスにて約4時間かけて長野県駒ヶ根市まで移動します。市内にホテルを予約したもののバスの降り場を間違え、深夜にキャリーケースを引きながらホテルまで移動しようと試みます。しかし乗り過ごしたバス停より15分程度、歩けば60分近くもかかる距離です。スマートフォンの充電がなくなりタクシー会社に連絡することができませんでしたが、途中近隣小学校に公衆電話を発見し、事なきを得ました。就寝時間深夜1時30分。

1月6日(火)入所式、訓練初日。駒ヶ根駅から訓練所までのバスが出ているためそれに乗り、JICA駒ヶ根訓練所に無事到着。自室を探し、身辺整理。ここでの生活は、すべて自己管理。外出時にはネームプレートを付け、自室に施錠をします。今後途上国に行った際に必ず不測の事態が起き、その時の自己管理・解決能力を鍛えるためです。朝食・昼食・夕食・入浴時間などが決められており、基本的にスケジュールに沿った動きです。17人一班の生活班が振り分けられ、班内での自己紹介、委員決めなどを行いました。アガリ症の私はしどろもどろになりながらも自己紹介を終え、体育委員に配属されることとなりました。ここで体育委員を選んだ理由は、理学療法士として勤務してきたため人体の構造には一般の人よりは詳しい自身があるからです。つまり、得意分野を作りたかったのです。ここに集まったのは厳しい選考を抜けてきた、全国屈指の人材です。訓練生といえ、旧帝卒・元自衛官・ジャーナリスト・インターハイ優勝者など、能力・体力・人望などが備わった人々ですから、すぐに空気に飲まれてしまうと考えたからでした。そして初日を終えます。

1月7日(水)各講座や、語学オリエンテーションなどが行われます。訓練開始2日目にして支給された制服のボタンが外れ、針と糸を使って裁縫することとなりました。途上国には裁縫セットを持っていくべきですね。座席の近くに裁縫が得意な人がいた為方法を教えてもらい、なんとか事なきを得ます。しかし、不吉。。。そんなこんなで2日目を終えます。

1月8日(木)午前中は初の語学授業。ウズベキスタンに派遣予定のため、ウズベク語の講座です。ウズベキスタンに派遣予定の候補生はJOCV3名、SV3名の計6名でした。ウェルカムテストを行うも散々な結果となり、初級講座に配属されることとなりました。夕方、自己紹介が行われます。132名の候補生が自分を表現しながら30秒スピーチを行います。アガリ症の私は、とにかく震えました。順番が132名中127番目、つまりほぼトリです。私の前の候補生たちはとにかく人前で話すのが得意そうで、どのスピーチでも笑いが起きていました。自分にもこんなスピーチができるのだろうか。。。とにかく不安に思いながらも、自分の順番を迎えます。何を話したかはよく覚えていませんが、その後の懇親会で「杉山さん、鬼のように緊張していましたね。」と言われたので、まあお察し程度でしょう。その後の懇親会では同じ医療職で顔合わせをし、少し空気に馴染むことができました。しかし、その後事件が起きます。スマートフォンが全く起動しなくなりました。インターネットで調べるも、有力な解決方法は無く、現在のところ故障と判断しています。スマートフォンが無いと何が困るか、それは班での連絡が取れないことはもちろん、なんと目覚まし時計が使えません。これは大きいです。早朝ランニングが6時30分からあるため、絶対に寝坊できません。不安に思いながら寝付くも、夜中に3、4回目覚めます。仕方ないと思い、週末にスマートフォンを購入しに外出することにしました。

1月9日(金)午前中8時45分より語学講座があります。ここで馴染みのないウズベク語を習得しなければならないものの、全く聞き取り、書き取りができません。他2名に申し訳ないと思いながらも、逐一講師の先生に確認を取るようにし、学習アドバイスをもらいます。音声で聞くと良いとのことで、USBに音声データを入れてもらうものの、なんと私の使っているMacでは再生できません。なんでも再生できるアプリケーションがないとか。。。アドバイスをもらい実行を試みるも、八方ふさがりです。なお、現地ウズベキスタンではMacはほとんど使えないとのことでした。配布される資料などはすべてwindowsでしか再生できないようです。PCも週末に購入する予定を立てました。

1月10日(土)初日の語学テストの再試験があります。ほぼ同内容が出題されるとのことでしたが、採点結果58点。。。このままでは中間テスト(2月9日)で合格点を取れず、訓練終了になる危険性があるため、週末外出禁止となりました。スマートフォン、PC購入予定が。。。現在初の週末を迎えておりますが、事件が多すぎてこれからの訓練所生活に不安とプレッシャーを感じ、既に胃痛があります。無事に終了できるのでしょうか。。。

・課題量の多さに、不安を感じています。

・息つく間もなく、1日が過ぎてゆきます。起きている時間は思考をフル回転。 しんどい。けど少し雰囲気にも慣れてきたかな。

・語学が、少し良い流れになってきました。 まだ不安要素は多いですが、全く触れたことのない言語ですから単語の習得は必須になりそうです。 目覚まし時計も届き、やっと本格的に勉強を始められます。

・寝不足が、曲者です。11時過ぎには寝ましょう。

・協調性のある行動とはなんでしょう。 周りの動きやすい発言とはどのようなものでしょう。

・企画、運営の難しさを学びました。

・随分スケジュールや、1日の動きに慣れてきました。最初はこんな状態で10週も続けられるんんだろうかと心配になりましたが、今は幾分安心しております。昨日は生活班の食事会にも参加し、他のメンバーの人となりも見えてきました。

7日(月)まだまだ初歩といえ、少し言語に慣れてきます。独特な発音にも慣れ、要所要所の聞き取りができるようになってきました。語学の習得に大切なのは、わからなくても愚直に学び続ける姿勢と思います。油断せずに学び続けましょう。

8日(火)予防接種の第一回が行われました。これからの訓練期間、毎週予防摂取を受けることになります。任国ではさまざまな感染症、疫病などが流行している可能性があります。日本がどれだけ衛生的に良い環境であるか、育った環境の良さを痛感します。

9日(水)語学授業での自分の立ち位置が決まってきたように感じます。ひとクラス3人、私の他二名はとにかく吸収が早く、驚かされるばかりです。先生が現地語で冗談を言う→二人が笑う、杉山はポカーンとしている。こんな構図が出来ております。「今のわかりません。どういうことですか?」と、質問しやすい状況になったとも言えます。なんとかなる、なんとかする。

10日(木)研修所では日常生活では経験できない様々なことが起きます。一つ例をあげるとすると、「婦人科」の講座。女性の体の構造は男性とどう違うのか、出産とは。普段生活している中では学ぶことのできない「新鮮さ」がここにはあります。

11日(金)仲間との協調性を取っていくことももちろん重要です。同じ言語、文化である日本の中で協調性のとれないのに、任地で協調性がとれる可能性は極めて低い。まずは集団生活の中でそのことを身につけなければなりません。

12日(土)私、体育委員に所属しております。委員の業務のなかでもっとも忙しいのがこの日行われた「スポーツ大会」の企画・運営・進行。3時間程度の競技時間のなかで、一部司会進行を務めさせていただきました。最大の問題点は「マイクの音が通らない」ひいては「声が小さい」。これは想像しておりませんでした。精一杯声を張るも、各班ごとに円陣を組んでいたり作戦会議を開いたりと、静かになる様子がありませんでした。なんとか司会進行・大会を終えましたが、反省点が諸々。。。次回の改善点としたいと思います。

北海道の実家から飛行機や各種交通機関を乗り継いで、協力隊派遣前訓練の会場である”長野県駒ヶ根市”に到着したようです。 これからどんな試練が待ち受けているのだろう、そんな期待感を持っていることが伺えますね。

このときの失策は、駒ヶ根市に前日入りしなかったことでしょうか。

北海道から長野県に向かうためのは丸一日かかるのですが、節約のため(というかJICA規定)のため、当日移動しか認められていなかったのです。朝イチの航空便で北海道から東京、そして長距離バスを乗り継いで長野県まで向かいました。

んでもっていきなり協力隊員の洗礼を受けています。なぜかというと協力隊員を目指すようなひとは大抵カタギじゃないです。過去になにかしらの成績をのこして、満を辞して訓練参加というような超人集団です。

「理学療法士免許をもっていて海外に興味があって……」

なんてうっすーい理由で応募するひとはごく少数だったみたいです。それゆえ目に見えないプレッシャーをずっと感じながら訓練生活を送っていました。

また、初っぱなのテスト成績が悪く、6割を切るような点数を連発して、ウズベク語の先生たちを困らせてしまったこともありましたねぇ。全力で謝りたい気持ちです。

あと幸か不幸か、所属の委員会に”体育委員”を選び、訓練開始2週目に行われるスポーツ大会を企画し、一部司会進行を努めさせてもらいました。こういうの苦手なんだよなぁ……

様々な能力不足を痛感しながら、そして訓練は続きます。

訓練3〜4週目

・ううう、早くも補講になりました。。。

・話し合いの場では、様々な人間が集まると当然意見が割れます。 その時にどう切り口を見つけるか。その人がどのような人生経験を積んだかが明らかになる気がします。

・本日より早朝4時から語学学習を始めることとします。 多少キツかろうと、やると決めたからにはやるのです。

・語学成績が芳しくなく、語学講師からも「このままだと間違い無く語学は上達しない」と告げられ、目の前が暗くなりました。これがいわゆる「挫折」というものでしょうか。夢見ていたこと、自分の将来が暗くなるのを感じました。両親と恋人に電話し「おそらく訓練を修了することができない。」と伝えました。訓練生の何人かに同じ内容を伝えました。それでも何かできることはないかと生活担当のスタッフに確認したところ、中間時試験に落ちても即刻退所とはならないとのこと。「自分は理学療法士で、SJFができる。それなら他の訓練生のサポート役に徹しよう。」と考えました。そこから二日間は絶望でした。周囲の訓練生にはこの先途上国での活動があり、目標が明確にある。しかし自分は訓練を修了できず、北海道は帰らなければならない。目標を見失い、自問自答を繰り返しました。それでも親身になって協力してくれる語学講師やスタッフのために、講義だけはしっかり受け、課題をこなしていこううと考えました。

朝4時に起床し、6時まで語学自己学習。朝礼を終え食事をとり、

8時15分~45分、語学補講。

8時45分~11時40分、語学講座。

12時30分~13時、語学補講

13時~15時、語学講座。

15時~17時、ワークショップなどの講座。

17時~18時、語学補講を終え、夕食をとる。

19時~21時30分、語学自己学習。

22時就寝。

上記のサイクルを一週間続けました。するとどうでしょう、語学の理解力と記憶力が向上し、二週間前には三割程度であったテストの点数も七割まで上がり、語学講師からも語学修了できる可能性があると言われました。正直、自分でも何が変わったのかは明確ではありません。あくまで自覚している部分として、

単語力が上がった

文章が読めるようになった

わからない単語を推測できるようになった

単語が更に理解できるようになった

構文がわかるようになった

早く文章を読めるようになった

の手順かと考えています。まだまだ壁は高いですが、少しだけ明るい兆しが見えてきました。

ぶっちゃけた話ですがこのときのTOEICスコアは400点くらいでして、日本語以外の言語を集中的に勉強したことがなかったんですよね。そして暗記力が非常に弱い。これは第3言語を学ぶにあたり、かなりのウィークポイントになります。

この週に語学講師から”落第予備軍”であることを告げられて、目の前が真っ暗になっていました。つまり訓練を終了できずに、任地にも行くことができないだろう、というある意味、死刑宣告(少なくともわたしはそう感じていた)です。

というのもこれまでなにかと運が良くてですね、あらゆる困難をすり抜けてきた自負があったのですが、面と向かって「あなたはたぶんウズベキスタンにいけない」と言われてしまったものだから、もう半泣き状態です。

訓練5〜6週目

・大変厳しい環境です。頭の中を掻き回される感覚です。 なんとか2合目を越えたように感じています。 まだまだ先は長いですが、気持ちでは引きません。

・「ワーキングメモリー」人は環境の変化により様々なことを考えます。私は今、自分自身の能力を見つめ直しています。周囲に比べ、明らかに問題に対する理解力、判断力が劣っている。これは揺るぎない事実と思います。では、なぜ理解力や判断力が低下しているのか。それは、古くからしてきた「メモをとる習慣」が関係していると気付きました。順を追って考えて行きます。まず記憶力が悪く、親や教師からメモをとるようにと指示され、実行してきました。すると学生時代は宿題を忘れることもなく、仕事でも1から10までメモをとることを習慣としてきました。そうすると「TODO」を忘れることが極端に減りました。これはメモをとることの効果として自信を持って行っていました。一転して、ここの環境では逐一メモをとることはできません。いわゆるワーキングメモリーとして記憶しておく必要があります。ここでこれまでメモをとることで補っていた記憶力の低下を再び実感することとなりました。記憶力が低下すると、今度は理解力が低下します。「理解」とはこれまでの人生の「経験」と「記憶」から成り立っています。経験もそれほど多くない、記憶力も良くない。これでは当然理解力も良くない、となるわけです。しかし、講師のアドバイスや周囲の支えにより、「物覚え」が良くなってきたように感じます。同時に理解力も良くなってきました。 「人は環境の変化によりいろいろなことを考えます」

・約70日間の訓練生活も、後半にさしかかりました。これまでで既に自分の価値観が120度くらい変わっています。自分は日本という物資・人材に恵まれたいわゆる先進国に生まれ、様々なことはあれど不自由なく暮らしてきました。しかし、先の震災では、何の前触れもなく物資の途絶える状況に追い込まれました。多くの人々が恐怖、ストレスと戦ってきたのだと思います。それでも徐々に復興の兆しが見え始め、立ち直ろうとしています。これは本当にすごいことと思います。これまでメディアの上でしか見聞きできなかった情報が、より身近に感じられました。また、これまで本当に困難な状況に立たされました。何度もくじけそうになったし、半ば諦めたこともありました。その中で支えになってくれたのは、同期の訓練生の声かけであったり、以前の職場の同僚から頂いたものや言葉でした。本当にどうしようもなくなった時に、頼れるのは人や思い出なんだと思います。これからもたくさんの困難があると思いますが、全力を尽くしたいと思います。

この週になにか確信めいたものを閃いたみたいです。

実はこのときまで暗記という行為が大嫌いで、避けていたのです。仕事でもすべてメモ書きを残すようにして全てのTODOを回していました。だからなにかをただ丸暗記する、ということが非常に苦手だったのです。

それが短期記憶力の不足を招いたのだと気がついた。

幸いにも医療系の資格を取得しているので脳の機能をカバーするためになにを行えばよいかの理論的背景もわかっていました。だからそれを高速回転させたんですよね。短期記憶は苦手でも長期記憶には自信があります。では短期記憶から長期記憶へもって行くにはどうしたらよいのか。それを必死に考えていました。

ちなみにこのときは派遣前訓練の講師を派遣している「バークレーハウス」から、毎日指導教官がきていました。

つまりかなりやべぇってことです。

毎週のように生活班の担当者に「語学できなすぎて任地行けないかもしれないです……」って悩み相談をしていました。

そして訓練は続く……。

訓練7〜8週目

 ・「実行力」「決断力」「行動力」人には大なり小なり、人生の転機が訪れます。それをどう捉え、対処していくかは個々人の価値観やその後目指すものによって変わりますが、決断によりどんな結果に成ろうとも受け入れなければいけません。人生において一番大切なのは「心の強さ」ではないでしょうか。日本に居れば、大きな変化を起こすことなく生きてゆくことができます。しかし私はこの道を選びました。そのきっかけは「面白そうだから」。様々な家庭環境があり、職場環境があり、時に人生は思うように進みません。8割は思い通りにならない、と言っても過言ではないでしょう。その困難をどう受け入れるか、困難を自分のものにできたときに、人は強くなるのだと思います。

・異職種体験

「適材適所」人の能力・特性などを正しく評価して、ふさわしい地位・仕事につけること(Wikipedia参照)自ら選んだ職業であれば、できることならそこから離れたくないものです。現代の日本では退職まで同じ職業・職場にいることは少なくなっていますが、それでも辛い就職試験や実習などを経験した場合、今の自分の職業が最適と思い込むことが多いです。しかし違う職業を体験したら、もっと自分に適した働き方が見つかるかもしれません。先日、職業体験で近隣保育園へ行きました。これまで高齢者施設で勤務していた自分にとって真逆の年齢層を対象とした職業でした。活発な子供達をまとめるのが大変でしたが、これほど求められた経験がなかったため、保育士に憧れに似た感覚を覚えました。すべての経験が、今の自分を形成しているのだと実感します。

・記憶とは

忘れられないことがある。忘れたくないことがある。断片的な記憶をつないで、今の自分が作られている。忘れてしまうのは仕方がない、それが人間だから。でもふとした時に思い出して欲しい。今の自分を作っているのは過去の経験の積み重ね。

・ここまでくるともう愛着しかありません。KTCでの訓練も8週目を終えました。今週もたくさんの荒波に揉まれます。

・地球のステージ

桑山氏は精神科医として勤務する傍ら、NPO法人地球のステージ代表理事として活動されています。JICAには14年前から来ているらしく、その都度自身の経験を歌に乗せて紹介してくださいます。今回はパキスタン、インド、そして日本でした。日本は今でこそ先進国で、大多数の人は飢えや戦争等生命のリスクを負うことなく暮らしています。しかし桑山氏の紹介する国々はもちろんそんな状態ではなく、日々死の恐怖と隣り合わせ。その日生きるためのお金を稼ぐことが精一杯です。私たちから見れば苦しい生活、しかし彼らは笑顔を絶やさない。家族の絆も強く、困った時には助け合える。そんな姿を見て「これから自分が出会う固有名詞には、どんな人生が詰まっているだろう」そんなことを思いました。最後は日本。先の「東日本大震災」での一場面でした。終始涙が止まりませんでした。戦後最大とも言われるこの未曾有の大災害を受けて、それでも人々は立ち上がります。3月11日。その日を私たちは忘れてはいけません。一日本人としてこの時感じた「人間の強さ」「諦めない気持ち」を世界に伝えなればなりません。

・語学交流会

昨日は派遣予定国ウズベキスタンより2名の現地人が来館してくださいました。1名は語学講師の後輩、1名は東京外国語大学より兼ねてからお世話になっている島田志津夫教授の教え子だそうです。両名ともとても気さくに話しかけてくれ語彙の少ない私に対してわかりやすく話してくださいました。まだまだ現地語は聞き取れませんが、少しだけ明るい兆しが見えてきました!訓練所生活も終盤を迎え、これからもまだまだ山は残っています!あきらめずに頑張りましょう!

ここまでくるともう自分の能力が全候補生のなかでもっとも劣っていることを自覚しており、吹っ切れています。いちど吹っ切れてしまえばあとは訓練を楽しむだけなので、体調を崩さないように気をつけて、訓練所から北海道に戻れたらいいなぁ、くらいに考え方が変わっていました。

こうして訓練所生活は終盤へと向かっていきます……。

訓練第9週目

・語学学習

語学を学習し習得するには様々なプロセスがあると思います。今日は私が経験した語学学習のプロセスを紹介します。今回学ぶのはいわゆるマイナー言語「ウズベク語」。学習当初全く聞き取れず、また書き取れませんでした。開始時は「本当に二ヶ月間で話せるようになるだろうか」と不安になったものですが約60日間学習し、なんとか最低ラインまでこぎつけたように感じます。外国語を話せるようになるには、リスニングや文法、単語力はもちろん「日本語力」もなければなりません。日本語でなにを伝えたいのか、どう表現したいのか、誰に伝えたいのかを明確にできなければ語学習得は困難といえるでしょう。日本人は「曖昧な表現」が得意です。国内で生活する分には同じ文化、言語なので十分通じるでしょう。しかし海外で働き収入を得て生活するためには、この日本特有の曖昧さが最もネックになります。表現できないことは、伝えられません。さて訓練も残すところあと10日。振り切っていきましょう。

・訓練残り1週間

駒ヶ根での訓練も残り一週間となった。あと二週間後にはウズベキスタンにいるはずだ。全く実感が無いのは私だけだろうか。2年間日本を離れ、文化や宗教の違う地域で生活・仕事をする。昨年の応募時には大きな期待感と少しの不安があったが、今は当時と同じくらい大きな不安感がある。どう解消すればいいのかはわからない。準備はうまい具合に滞っている。尚現地ではMacは使用できないとのこと。愛着が湧いていただけに2年間手放すのは寂しいけど、活動が滞る可能性があるのなら仕方ない。来週は班ゼミ、皇太子様接見、講座テスト、語学テストと盛りだくさんのスケジュールとなっている。初心を忘れず、貪欲に取り組もう。

・前頭葉の使い方

大脳の中にある前頭葉という部分をご存知だろうか。今日は前頭葉のお話。大脳は大きく分けて前頭葉・頭頂葉・側頭葉・後頭葉に分類される。それぞれ機能局在とよばれるものがあり、それぞれが中枢神経から末梢神経を経て、全身の身体活動を司っている。今日ご紹介する前頭葉とは言語の理解、記憶、それらを総じた「コミュニケーション能力」の中枢を担っている。本来は中枢神経系である大脳から末梢神経へ伝達を送るが、どうやら発話をすることでこの前頭葉機能が活性化されるようである。特に私が今直面している語学学習、これはそのまま前頭葉のトレーニングといっても過言ではないだろう。まず言語の基礎である単語、文法。これらはある程度暗記しなければならない。そしてこれらを駆使して自己表現をする「発話」そして「会話」が行われる。どうだろう、前頭葉機能をほぼ網羅しているとは言えないだろうか。一般にコミュニケーションが苦手、という人はこの前頭葉機能が低下している可能性かもしれない。しかし日常に語学学習の機会がない人もいるだろう。私もその一人。今でこそ毎日語学学習をしているが、それも残り一週間を切ってしまっている。日常に戻った時に今と同じような前頭葉のトレーニングを行っていけるのか、おそらくできないだろう。そこで新たに「演劇」を初めてみようと思う。文章を覚え、そこに感情を乗せて発声する。おそらく語学学習と同様の効果が得られるのではないだろうか。

・3.11

2011年3月11日14時46分東北の時間が止まった。地震とそれにともなう津波。多くの人が叫び命を絶たれたこの日、中継を見ているしかできなかった自分が今でも悔やまれる。この大災害をうけ、日本人はどう振る舞ったのだろうか。その毅然とした態度は世界でも賞賛され、日本人の名に恥じない姿を見せていた。いま私たち26-4JOCV109名は「日本人らしさ」を途上国に伝えなければならなず、私の派遣予定国ウズベキスタンでも人々は「東日本大震災はどうなった?」と心配してくれているらしい。いま4年の月日が経ち私たちの頭から当時の記憶は薄れているかもしれない。けど一年の中でこの日だけは思い出して欲しい。あの日、私たちは世界に誇れる強さを持っていたことを。

派遣前訓練のこなしかたがだんだんとわかってきました。このときになんだか「一皮向けたなぁ」と感じだんですよね。

このころに生活班の担当者に「言語学習における記憶の仕組み」について1時間くらいプレゼンしてました。笑

派遣前訓練を終えて

【ご報告】

3月16日をもって26-4青年海外協力隊派遣前訓練が終了しました。大きな期待をもって臨んだ訓練は予想以上に厳しく、しかし自分を大きく成長させるものとなりました。

声のうわずった自己紹介からはじまった訓練生活。いきなりスマートフォンがぶっ壊れアラーム機能が使えなくなり、寝られない日々。思うように語学学習が進まず、たくさんの不安やプレッシャーから毎晩泣いていました。そんな中支えてくれたのは訓練所の仲間、北海道の家族、恋人でした。突然の相談に快くのってくれたみなさんに、大きな感謝をしたいです。ここにいた134名はみな強い意志がありお互いに切磋琢磨しあい、自分もその中にいれたことがとても楽しく、夢のような時間と思っていました。自分のことに精一杯であまり多くの人とかかわりを持てなかったのが心残りですが、KTCでともに時間をすごした全員のことを「家族」であり「仲間」と思っています。便利な生活するためのものはないけど、生きるために欠かせないものがある、それが人の繋がりってやつでした。

訓練で得たもの

・皇太子殿下と直接お話しする機会

・ウズベク語での会話能力

・不安に陥ったときの対処法セフルコンディショニング、座禅の仕方

・134名のKTCの仲間そして思い出

・正しいラジオ体操のやり方

・各種ワクチン接種での免疫

訓練で失ったもの

・フルマラソンを完走する体力

・以前のLINE ID

・体脂肪(得たもの?)

序盤こそ大きなストレスを抱えていたものの、終盤はもっとここにいたい離れがたい場所になっていた。この70日間ほど密度の濃い時間はもうなくて、ここで経験したことは自分の血肉となり人生の財産になると思う。失ったものは小さく、得たのもは大きい。

3月23日に任国ウズベキスタンへ出発します。表敬訪問をさし引くと準備期間は5日、鬼スケジュールだけど足りないものは現地調達で。2年間の任期でひとつでも多くのことを伝えられるように学べるように、楽しみながらがんばっていきたいと思います。現地でもたくさんの問題やうまくいかないことがあり、ダメかもしれないと思うこともあるだろう。だけどきっとなんとかなる、そんな気がしています。「大丈夫、なんとかなる。」ではKTCのみんな、元気で!

#訓練終了

#任国ウズベキスタン

#前頭葉の使い方

#KTCの仲間

#また二年後笑顔で会えるように

そしてなんとか語学訓練を終えました。

最終テストと呼ばれるものに合格しなければ任国へ派遣してもらうことができないのですが、そのテストで合格点スレスレという、どうみても捏造されている得点をもらうことができたんです。ほんとうに嬉しかったなぁ。

上記の日記にも書かれていますがほんとうに色々な経験をさせてもらいました。このときに学んだ方法、例えば坐禅のやり方なんかは3年経過したいまでも続けていますし、皇太子殿下と直接お話しすることなんて今後おそらくないだろうと思います。

それくらいこの70日間はわたしにとって貴重で大切な時間でした。

そして最後に「訓練所で切羽詰まったときの対処法」をまとめておきたいと思います。

訓練所で切羽詰まったときの対処法

さてこれだけ色々な事件を巻き起こしたわたくしが、どうして語学試験で合格点をもらうことができたのか。統計的にみて、語学訓練開始から2週目の時点で試験の得点が6割に届いていない訓練生は、落第してしまうのです。

だけどなぜかわたしはそれを乗り越えることができた、なぜでしょうか?

最後にその方法をまとめておきたいと思います。

まずは周囲を巻き込むことです。

わたしは”落第宣言”を受けたときに、すぐに生活班の担当コーディネーターに相談にいきました。相談内容はそのまま「語学講師に落第の可能性が高いと告げられました……」と。コーディネーターは概ね優しい?ので相談に乗ってくれます。JOCAである彼らも語学学習の大変さを経験しているからでしょう。

そこで何か具体的なアドバイスをもらえる訳ではありませんし、結局は”自分の力でなんとかせい!”と鞭打たれるだけなのですが「自分はいまこんなことで悩んでいます」ということを周囲に知らせるのは、かなり有効です。

だって負の感情を溜め込んでいてもいいことないですよ。

こうして発散しつつ周囲を巻き込んでいったほうが、確実に気が楽になります。

次に総合力を高めることです。

例えば語学が伸びないからと語学学習ばかりやって、それで成績が伸びればそれは御の字ですが、そうもいかない場合がほとんどです。というかその方法がわかっているならそもそも成績が悪いなんてことになならないはず。

わたしは語学に伸び悩んでいたときは走りこむことにしていました。協力隊活動なんてのはつまるところ「心・技・体」のバランスが取れていないとうまくいかないもんなんです。だから時間のあるときには体力増進に努めていました。

それが必ず語学力向上の一助になるはずと信じていたんですね。

最後にもうひとつ。

いまの状況を楽しんでください。

わたしも3年前の語学訓練中に、まさか自分がこんな風にブログを書き続けて当時の自分にツッコミを入れているなんて想像もしていなかったんですよ。いまは大変かもしれないけど絶対に笑い話になる日がきます。

これを読んでいるあなたはきっと今の状況を乗り越えられるはずですから、諦めずに、今の状況を楽しみながら頑張ってください。

今日のまとめ

以上が”日本イチ厳しい”国際人養成所”での「落第宣告」と、わたしがとった打開策。”でした。

青年海外協力隊の派遣前訓練はたいへん厳しいです。しかし、同時にすごく楽しいです。だって100人以上のかけがえのない仲間ができるんですよ、こんなん楽しくないわけないじゃないすか。

そして人格も変わります、70日間で一気に国際的な人間に生まれ変わります。

ひとと関わるのが楽しくなります。

自分の不甲斐ない面が際立ってしまうのももちろんですが、それ以上に新しい出会いがあります。

そこで得た経験は一生ものですよ。

最後にもう一度わたしがとった打開策をまとめておきますね。

■わたしがとった打開策

周囲を巻き込む

総合力を高める

状況を楽しむ

最後までお読みいただきありがとうございました。

これであなたも協力隊候補生。

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